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Empreinte de chameau🐪ラクダの足あと

🌴モーリタニア🌙 砂漠を旅する🌴 No.14 🐪加藤智津子

砂漠を走る、世界で一番長く、重い列車!- ③


砂漠を移動中の食事は、夕食以外は簡単に済ませる。

ランチはバケットとショコラ、あれば果物、その間に、ドライバーの煎れてくれるやや渋めの 「モーリタニアミントティー」 を3杯飲む。

モーリタニアのフランスパンは美味しいが、柔らかめの方が翌日も火にかざして食べることができる。

それにクリームスプレッドショコラをたっぷり塗る。

果物はモロッコ、セネガルからの輸入品、マンダリンかバナナで。

冬でも日中は直射日光が強いので、アカシアの木陰を探して、マットレスを敷く。

今ではすっかり馴染んだ場所だが、最初、ドライバーに言われた。


「ここはモーリタニアではなく、サハラなんだよ」

モーリタニアでは隣接する西サハラ (サハラ・アラブ民主共和国)を 「サハラ」 と呼ぶ。

Photo:モーリタニア アドラール州 シューム

降った雨は吸収されず一気に流れるため、鉄道線路の下に造られた水路。

アカシアがまばらに生えている。


鉄鉱石を運搬する鉄道は「西サハラ」国境に沿ってモーリタニア領内を通るように設計された。

仏語、英語の地図では、そのルートは大西洋から東に伸び、シューム駅まで至るが、5キロ北上した西サハラの境界線で途切れる。

その先、モーリタニア領のNeireb谷(標高280m)の西側に再び現れて、ズエラットまで北上する。

モーリタニア鉄道は、サハラ・アラブ民主共和国領内を横切っていることになる。(*1)


当初はシューム駅の東側に硬い花崗岩の山塊、シューム山があるため、このような(今のような)砂漠を走るルートで計画された。

しかし、シューム山のふもとに国境線が制定されていた。

計画当時、フランスは西サハラを統治していたスペインから域外ルート化を認める合意が得られなかったため、モーリタニア側にある断崖絶壁のシューム山にトンネル(全長1893m)を掘ることになった。(*2)

その後、1976年に、西サハラ南部が一時的にモーリタニアに帰属した際、本来の計画のように、山塊を避けて砂漠を斜めに走行する線路で敷設された(1978年)。

この年以降、トンネルは閉鎖され、使用されていない。

詳細な地図では山塊の標高330mあたりに「鉄道トンネル」とアラビア語表記があるものの、その入り口、ルートは不明だった。

でも、最近、分かった。

次回、可能ならば、見に行きたい!


いつものように、車とともに線路を越え、西サハラ領内に入り、お茶を飲む。

まさに「サハラでお茶を!」


(つづく) 


(*1) モーリタニア鉄道の地図(Wikipedia commons)

白い線路が現在、赤い線路がトンネル使用時代。


(*2) このトンネルは「アフリカにおけるヨーロッパ人の愚かさの記念碑」と呼ばれている。

豊富な鉄鉱石に目をつけた鉄道敷設計画は、フランス領時代の1940年に始まっていた。

現在では、中国がモーリタニア南部(Bofal)に産出するリン酸塩を、ヌアクショットの海岸まで運搬するための鉄道(430km)を計画している。中国自体、リン酸塩の埋蔵量は西サハラと並び世界最大の国であり、輸出量も多いのだが、、、、

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